翻訳と辞書
Words near each other
・ 張燕卿
・ 張燕昌
・ 張燮
・ 張爍
・ 張物
・ 張物屋
・ 張物師
・ 張物板
・ 張特
・ 張猛
張猛 (武威太守)
・ 張猛龍碑
・ 張献忠
・ 張玄
・ 張玄ケン
・ 張玄セイ
・ 張玄墓誌
・ 張玄靚
・ 張玉
・ 張玉勤


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

張猛 (武威太守) : ミニ英和和英辞書
張猛 (武威太守)[ちょう もう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

武威 : [ぶい]
 (n) military power
太守 : [たいしゅ]
 【名詞】 1. viceroy 2. governor-general
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

張猛 (武威太守) : ウィキペディア日本語版
張猛 (武威太守)[ちょう もう]
張 猛(ちょう もう、? - 210年)は、中国後漢末期の政治家。涼州燉煌郡の人。叔威。父は張奐。
父は「涼州の三明」として武名を挙げた人物である。父はその長年の功績のため、本籍を燉煌から弘農に移すことを許され、181年に没した。張猛の生年は不明だが、父が武威太守であった時期に生まれている。
郡の功曹となり、やがて父の武名を見込まれて、建安年間に武威太守に任命された。雍州刺史の邯鄲商と共に、政情不安となっていた西域の統治のために派遣されたが、邯鄲商と仲違いを起こしたため209年にこれを殺害し、朝廷に反乱を起こした。210年に朝廷の命を受けた韓遂と戦ったが、韓遂を恐れた味方の将兵や民が内乱を起こしたため窮地に陥り、自殺に追い込まれた。
三国志』では、龐淯伝で引用された『魏略』に詳細があるが、龐淯は張猛の命令に逆らって邯鄲商のために哭礼し、敵討ちのため張猛の暗殺を謀っている。しかし、張猛は龐淯の義に感じ入るものがあったため、これを許している。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「張猛 (武威太守)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.